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聖ジェオルジオ殉教者  St. Georgius Mart.   軍人の守護者       記念日 4月23日



 聖会の初代にはローマの軍隊中に数多のキリスト信者が出来、殉教した人も少なくなかった。かように軍人が入信し易かったのは恐らく厳しい軍紀に慣れた身には聖教を守ることも難しくなく、またいつ何時祖国の為生命を投げ出さねばならぬか解らぬ身には天国の観念が大いなる慰安となったからであろう。それは兎に角、本日語らんとする聖ジェオルジオもやはりそういうローマ帝国の勇ましい軍人の一人であった。

 彼は昔から公教会の栄えある聖殉教者中に数えられ、ギリシャ正教会に於いてはより以上の尊敬を得て大殉教者とさえ呼ばれている。彼に献げられた聖堂は既に五、六世紀頃から建て始められ、十字軍の時代には英国の獅子王リチャード一世が彼を己が軍隊の守護者と頼んだが、それ以来ジェオルジオは一般軍人の保護の聖人と仰がれるに至った。

伝説によればこの聖人は紀元二百八十年頃小アジアのカッパドキアに生まれ、少年時代軍隊に入りディオクレチアノ皇帝の寵愛を受け将校に抜擢されたが、キリスト教迫害が起こったとき、皇帝の御前に出てはばかる所なく信仰の有り難さを説き、天地万物の創造主なる真の神を認めて己が救霊を計るべき事を勧めた為、その逆鱗触れ、棄教を厳命されても毅然として之を許否した皇帝は武勇勝れたこの好青年将校を惜しんで、いろいろと説得に努めたが、「その儀ばかりは平にご容赦下さいませ」とどうしても棄教をしないので、今は之までと斬首の刑に行うべき旨を命じた。かくてジェオルジオが天晴れ殉教の死を遂げたのは302年の事であった。ローマ殉教録には彼を「殉教者の冠」と賞賛している。彼の御絵と言えば、大抵身に甲冑とまとい馬に跨った英姿颯爽たる騎士が、一匹の龍を槍もて突き伏せている傍らに、一少女の立っている様が描かれているが、之よりして龍の人身御供になろうとする少女を彼が救い出したという伝説なども生ずるに至った。然し之はキリストの勇ましい兵士なる彼の力によって、龍の如き悪魔の毒牙から、少女の姿で象徴されたその保護の下にある人々が救い出される意味に解すべきであろう。

教訓

 我等公教会信者は堅信の秘跡によって天主の兵士たる資格を得ると言われているが、この資格は超自然的なもので実際霊魂に付与されるのである。ただし天主の兵士とはもちろん喩えに他ならぬ。即ち兵士が君国のために戦う如く、我等も天主の御国の為、悪魔、世間、肉欲等の敵を相手に闘わなければならぬとの意味である。聖パウロは之を諭して「我等の戦うべきは血肉に向かいてには非ず、悪霊に向かいてなり。されば起て汝等、身に正義の鎧を着け、信仰の楯を取り、救霊の兜と神の御言葉の剣を執れ!」(エフェゾ書 6・12−18)と言っている。


 ジェオルジオについて次のような伝説が伝えられている。ある日小アジアのカッパドキア(現在のトルコ)の騎士がリビアを通ってシレネという町に来た時、沼地に恐ろしい竜が一匹いて、市民達を恐怖におとしいれていた。町中の羊はこの怪物に食べられてしまったので、今度は人間の体を食物として与えねばならなかった。くじを引いたところ、当たったのは王女で、ジェオルジオが通りかかった時に、犠牲になるところであった。

 ジェオルジオは、もし全市民がイエズスを神と認めて洗礼を受けるならば、竜を殺してやると約束した。市民達は早速同意したので、聖人は自分の槍で竜を突き刺して殺した。竜の死骸を運ぶのに牛車が4台必要であった。その時15000人以上の人々が洗礼を受けた。聖ジェオルジオの名にまつわる伝説があまりにも不可思議なので、ある懐疑者たちの中には、彼は存在しなかったという者さえいる。彼は3世紀の終わりと4世紀の初めころのローマの軍人で、皇帝の護衛兵たちの司令官に昇進したと伝えられている。

 ある時、皇帝の前で異教の祭司たちが未来について予言するために動物のはらわたを出していた。護衛兵の中のキリスト信者たちは自分の額に十字架の印をしたので、皇帝は非常に怒って、彼等を鞭で打たせ、追放するように命じた。そして、布告を出して、キリスト教の司祭たちに異教の神々に供え物をするように命じたジェオルジオは宮殿の門にこの布告が貼られてあるのを見て、それを破り捨てたので、すぐに捕らえられて牢獄に入れられ死刑になった。

 この物語さえも大分誇張されている。しかし、ジェオルジオが303年頃に殉教したことは確実だということができる。その場所はパレスチナのリダであったと言われている。